魔魅の目印

2

 ピリュラが完全に部屋の外に出るのを見届けて、セコートは寝台に目を戻した。少女は取り乱したことを誤魔化すように、枕に頭を沈め直した。  勝手に椅子を引き寄せて腰かける。さて、どう切り出すか。考えつつしばし無言でいたのが圧迫になったらしく、病人は居心地悪そうに口の上まで寝具を引き上げた。 「……どうして?」 「そういう話だったでしょう」  か細い問いは聞き取りづらい上に不完全だった。自由に解釈して答えると、少女は目を瞠り、それから泳がせ、最後には顔ごと窓の外へ向けてしまった。 「――忘れられたと思ってた」  目が泳ぐわけだ。  少女はあの村の村長宅で下女として使われていた。元々は家族で旅をしていて、あの村で両親が死んだらしい。その辺りの事情をセコートは知らない。知るのは少女が冷遇されていたことのみである。  一年待てるか、とセコートは言った。一年後に再び訪れようと約した。一年後に再び村を去るときには、少女を伴うつもりだった。あれから一年が経った。 「申し訳ありません。間に合いませんでした」  少女はくるりと頭を回して、尋ねるように再びこちらを向いた。青年は補足した。 「襲撃から九日になるそうです。あなたが助かったのは偶然でしかありません」  助かったからよいようなものの、少女が他の村人たちと同じ運命をたどっていれば、セコートは約束を果たせなかった。が、もしも、例えば二十日前に訪れていれば、襲撃の前に連れ出せた。  自分は助けられるはずの人間を助けなかったのだ。  事件を耳にしたときからセコートは悔いていた。必ずしも事件前に行かれなかったことへの後悔とは言えなかった――結果的に守れなかった約束を、そもそも交わしたこと自体が悔しかった。守りきれない約束を、何故迂闊にも交わしてしまったか。生き延びたのは幸運だったが、結果論にして別問題だ。 「……偶然じゃないよ」  青年の正確な胸中を知る由のない少女は呟いた。 「あたし、忘れられたと思って自棄起こしたの。自棄起こして生意気言ったの。生意気言って怒らせて、炭焼き小屋に閉じ込められたの」  顔だけでなく体ごと、こちらへ向けた。寝具の端をぎゅっと握る。 「山賊なんだよね?」 「そう聞いています」  顔がくしゃっと歪んだ。笑ったらしかった。 「あたし、そのとき、いなかったんだよ」  僅かに、青年は眉を寄せた。  では、山賊の恐怖を経験してはいないのだ。危うく死ぬところだったという実感もないだろう。熱にうかされて苦しみはしたにしても。  ――そうなると話は変わってくる。 「……何も知らないと」 「山賊が来たのは知ってるよ。もういないから大丈夫だよって言われた」  誰かが不用意に口走ったらしい。  ふと少女は手をついて、今度は慎重に起き上がろうとした。手伝って支えてやった体は予想よりも軽かった。  続いて枕元の水さしに手を伸ばす。取り落としては面倒だと、セコートは横から水さしを取り上げ、添えてあったコップに中身をついで渡した。少女は両手でコップを包み、半分ほどをゆっくり飲んだ。 「それにさ。ここ、村じゃないよね」 「町ですね。一番近い」 「わざわざここにいるってことは」  言葉を選ぶように間を置いて、村はもう駄目だね、と生き残りは言った。 「……そうですね。復興は無理でしょう」  ――いい気味、とは口にしなかった。  水を飲み干し、コップを枕元に戻す。ドーリアの話が嘘のようだ。食べず話さず動かないのではなかったか。  無論嘘ではあるまい。理由がなくなったのである。  ドーリアやピリュラは前提を誤っている。村の壊滅を知ったとしても、生きる気力まで喪失することはあるまい。衝撃は受けたかもしれないが、少女は村も村人たちも、好いていないどころか嫌っていた。  堪えたのは寧ろ、村から連れ出してくれるはずだった青年が、一向に現れないことだったのだろう。自惚れのようでもあるが、セコートの知る限りの情報から推して、それが一番尤もらしかった。  とすれば、尼僧たちの懸念は二つ解決する。食事は今夜から摂り始めるだろう。忘れられたというのは誤解だった。山賊の悪夢にはつきまとわれていない。そのときそこにはいなかった。 「――生き残ったあなたはどうします。東へ来ますか」  旅人は核心に触れた。  少女は初めて言われたかのように目を瞠った。驚いているのか咎めているのか、いっぱいに見開くと判別しづらくなる。どちらにせよ心外だ。 「行きたい」  縋るようにセコートの手を取った。 「……そういう話だったでしょう?」  忘れられたと思い込んだくせに。  セコートは痩せた指を剥がして寝具の上に戻した。 「旅に出られる体になりなさい」  一瞬絶望的な目をした少女は、その目を戻された手へと転じた。どのみちこの体では神殿が許可しないだろう。  そうすれば連れていってやる、という意味に取りうることは承知である。決意の色を浮かべて頷いた少女は、後になって気づくだろうか。敢えて明言を避けたことに。

 廊下に人影がないのを見澄まして、壁に背を預けて息を吐いた。安堵よりも完敗の気分だった。  死んでいればどんなに激しく悔いても一時的だったろう。そういう運命だったのだろうと早々に割り切ったかもしれない。が、生き残ったからには向き合わなければならない。  生存を知る者がみな想像したであろう心の傷を、少女は負っていなかった。村の惨劇に居合わせていれば、助かっても恐怖を引きずったことだろう。そうなればセコートの手には負えない。事情が変わった。話が違う。そう言って置いていくこともできた。そのように扱いづらい子供なら、連れていこうとは最初から考えなかった。  前髪を掻き上げるようにして、額に手を当てた。事情は変わっていない。話は違っていない。寝台の上にいたのは、一年前と同じ少女だった。……いなかった? 何なのだ、それは。偶然でないはずがない。自棄を起こしたのが事件前であったことも、わざわざ村から離れた場所に連れていかれたことも、町兵がその小屋に目を留めたことも。  それに――買い取らずに済んだ。所有権を主張する人間はいなくなった。一年前に提示された金額は、一銭も欠けずに手許に残る。  あの少女を引き取らせてもらえまいかと水を向けると、相手は即座に幾らで買う気かと答えたのだった。だから一年かかったのだ。そうでなければそのまま連れて出ただろう。  売買に応じるということは、商品と認めるということである。尊厳など考慮している余裕があるものか、名より実だとセコートが思っても仕方ない。少女が同じように割り切らなければ、容易には埋めがたい溝ができたろう。手段にこだわる場合ではないと受け入れたところで、代金の高さは双方のしこりとなったかもしれない。応と答えはしたものの、どの点からいっても避けたい方法ではあったのだ。  神は時折奇跡を起こしてみせる。これでも信じないつもりか、とばかりに。  もう一度深く息を吐き、壁を離れて踏み出すと床板が鳴った。失敗したと思った。病室にも聞こえただろう。すぐに立ち去らなかったことが、知れても困るわけではないが、気づかれまいとするのは習性のようなものである。動向や意思を他人に把握されることを、セコートは嫌った。道連れを作ろうというのは、矛盾と言えば矛盾だが――言うなれば譲歩、妥協をするわけだ。  そうまでしてあの少女にこだわる理由はわかっている。セコートは三度目の溜め息を呑み込んだ。縁もゆかりもない少女を、誰が同情だけで引き取るものか。本人がどう考えているか、ドーリアがどう思ったかは知らないが。  ピリュラは食堂らしい部屋にいた。旅に出られるようになるまで少女を置いてもらえるかと問えば、ぱっと表情が明るくなった。連れていかれるようになれば連れていくという意味に取ったのだろう。少女と同じく。 「勿論です。女神は母です。弱っている子を放り出すようなことはありません」  無邪気なことを言うではないか。尼僧として理想的だ。現実的であるかはさておき。 「明日また伺います。ドーリア殿にお伝えください」  言うだけ言って踵を返すと、あの、とピリュラは呼び止めた。 「あの子の名前は、何て?」  そういえばそれすら聞き出せていなかったわけだ。 「レザンヌといいます」 「レザンヌ」  復唱する。誤解させたなと気づいた。自身があまり姓まで名乗らないから習慣で省いてしまったが、そもそも姓を持たないと思われたようだ。庶民には珍しいことではない。  気づいたが、特に正さなかった。ここで訂正するほどのことでもない。あの事件の記録をつけるようなときには、正確な情報がいるだろうけれども。 「──ピリュラ殿」 「はい」 「山賊の仕業というのは、根拠あっての推測ですか」  急な話題転換に、尼僧は円い目をぱちぱちとさせた。あの事件に思考が至った流れを説明することはやはり特にせず、黙ることで催促に代える。 「ええ、聞いているところでは。値打ちのある物は残っていなかったそうですし……遺体の様子も、それらしかったと」 「山賊であれば、皆殺しにするのは不自然であるように思いますが」  家畜のようなものであったはずだ。生かしておけば子を産んで増えるし、子を産めば乳を搾れるし、毎年毛を刈ることもできる。殺せば皮と肉が手に入るが、一度きりであり、それきりである。全滅させるのは得策ではなかろう。  思いも寄らなかった様子で、ピリュラは考え込むようにした。 「でも……それなら、誰が」 「手にかけたのは山賊であったかもしれません。ただ、裏で糸を引いた人物がいるということはありうるかと」  誰が、ではない。何故、だ。問題は。  例えば。――殺してしまいたい人物がいるとする。わけあって名や顔はわからないが、あの村にいることは確実、あるいは極めて可能性が高い。ならば村にいる者を、一人残らず殺してしまえ――とか。  無論、裏があったとしても、もっと単純かもしれない。根城を移すことにした山賊が、最後だからと根こそぎ奪っていった、とか。  今初めて思いついたことではないが、真相究明に興味がないからつきつめようとはしていなかった。レザンヌの生存を確認したことで、けれどもそれは懸念となった。 「思い当たることがあるんですか?」 「いささか飛躍と空想が過ぎますが」  具体的には話さなかった。この尼僧が相手では、無駄に驚かせたり悲しませたりするだけだろう。それならそもそも話さなければよいわけで、青年は内心舌打ちをした。動揺があるらしい。 「――あの村の住人を狙う理由があったのだとしたら。生き残りがいると知ったら、見逃すでしょうか」  懸念のみを告げる。ピリュラの顔色がみるみる変わった。  杞憂であればよい。けれども万一、あの少女が、この先も脅かされるとしたら。ありうることだと、青年は知っていた。  と、ピリュラは真剣な、訴えるようなまなざしでセコートを見上げた。 「セコート殿、男神の神殿へいらしてください。慰霊はこちらが行っていますけれど、そうしたことはあちらが仕切っていますから。……折角助かったのに、そんなことが……あったら」  震え始めた声を途切れさせ、潤み始めた目を逸らす。――つくづく、尼僧らしいことだ。少女本人が見れば嫌がりそうだが。 「そうしましょう、明日にでも。こちらへ伺うのは明後日になるかもしれません」 「ドーリア殿にはお伝えしておきます」  頷くのに頷き返して、改めて立ち去るべく背を向けた。  直接関わりのないことではある。引き取ることを取りやめれば、自分は影響を受けずに済む。さっさと旅路に戻ってしまえば面倒に付き合うこともない。けれども実際には、付き合おうとしているのであって。  外堀を埋められていくようだ。現に守ろうとしているではないか、大切にしている証ではないかとばかり。  覚えず鼻を鳴らしたのは、嘲笑であったか苦笑であったか。自身のことでありながら、セコートは判断しかねた。

〈続〉

inserted by FC2 system