魔魅の光明

1

「当分あの家には寄りつかない方がいいぞ。あいつはクイの血筋だからな、うっかり近づこうものなら生気を吸われちまう」  自慢話でもしているような溌剌とした声に、シュラは顔をしかめた。友人のコーティのことらしい、このところ体調を崩して寝込んでいるのだ。全く以て生き生きと喋っているこの男は、嫌いな相手の苦しんでいることが嬉しいのか、それを攻撃材料に転用できることが楽しいのか。シュラの父親より三つ四つ上の、つまりはもうよい年の、大の大人だろうに。 「蝋燭欲しいんだけど」  割り込んで用向きを告げれば、店主は話を打ち切って棚を探し始めた。男はいささか不満そうだったが、少年を目にすると気味がよいと言わんばかりの笑みを浮かべた。 「俺は忠告したぜ?」 「あんたに心配してもらえるとは感激だね、バラン」  突慳貪にシュラは返した。元々釣り上がって鋭い目が、非難と不快感を強調してくれるだろう。  コーティとその母親の、癖のある栗色の髪と深海の如く青い目は、直ぐな黒髪と黒目を基調とするこの村では目立つ。若かりし頃、商いのため長旅に出たコーティの父親は、異国情緒あふれる花嫁を伴って帰ってきたのだった。妖術使いと言われるクイの一族、噂だけはこの村にも届いていた神秘の家の、末裔に当たることを本人は隠さなかった。だから素養には恵まれているかもしれない、学ぶ気になれば習得は易いかもしれない。けれども今のところそうした能力は身につけていない、だからこそ夫と出会うことができたのだ。そんな風に言っては、悪漢に襲われたところを救われたという劇的な出会いを語り、惚気話に繋げるのが常だったらしい。クイの一族に連なるということよりも、夫にぞっこんであるという印象の方が強かった、とシュラの両親は口を揃える。  そうして村に落ち着いて、十四年は経っている。コーティが十四歳になるのだから。それでも未だによそ者扱いをやめず、母子乃至一家を疎んじている村人は幾人かいた。バランなどは露骨な態度を見せる一人だが、よそ者だからではない、妖術使いであるためだと常に主張していた。病気になればその妖術で、周りの人間の生気を吸い取って回復するに違いないと、今も嬉々として予言していたわけだ。馬鹿馬鹿しい。  そうした扱いを受けても、一家は事を荒立てようとしない。それをよいことに見て見ぬふりをする者もいるが、一家の代わりに憤ったり嗜めたりする者もいる。シュラは無論、後者に入った。コーティとは一歳違いで、互いに最も年齢の近い友人である。シュラより年上で最も若い村人は三歳離れた姉であり、コーティの次に村の子供が生まれたのはその四年後だ。二人は当然のように近しく、親しくなった。  二人の間に、本当はもう一人いるはずだった。ほんの一ヶ月か二ヶ月で、コーティが生まれるよりも前に死んでしまったと聞く。幼馴染みになり損ねたその子供の父親こそ、他ならぬバランであった。コーティを嫌うのも無理のないことではあった――我が子と違って元気に育っていく少年はさぞ憎らしかろう。だからといって、その病臥を喜んだり、その血筋を悪しざまに言ったり、あることないことを吹き込んで他の者にも嫌わせようと試みてよい理由にはならない。 「ついでに病祓いの人形もくれない」  蝋燭の束を差し出した店主に、シュラは注文を付け足した。人形に病気を背負わせる、というのは手軽なまじないで、巫女の作った人形でなければならないとか、祈祷師でなければ病気を移す作業ができないとかいう制限はない。どのみち目覚ましい効果があるわけでもないが。  コーティにやるのかい、と言いながら店主は別の棚に手を伸ばした。バランが大袈裟に溜め息を吐いて首を振ってみせるが、そちらに同調する様子はなく、シュラはシュラでふふんと鼻を鳴らす。ちっとも乗せられてないじゃないか。  コーティの見舞いに行こう。気にかかってはいたのだ、一日二日出てこない程度ならともかく、大分長引いているようだから。そうして、バランのようなことを言う連中に、自分は訪ねていったけれどもこうしてぴんぴんしているぞと見せてやるのである。  蝋燭と一緒に木彫りの小さな人形を握って、シュラは颯爽と店を後にした。とても見舞いに向かう態度ではなかったと、自己嫌悪に陥るのは少し先のことだった。

 会っていくかと訊かれたときは、青褪めたのではないかと思った。今を逃せば生きているコーティにはもう会えないかもしれないから、という意図にも取れたためである。  玄関に現れたコーティの母は、酷く憔悴していたのだった。コーティのことを問えば、高熱が一向に下がらない、目を覚ます時間がほとんどない、水も薬も碌々口にしていないと、予想外に不穏な情報が断片的に返ってきた。それからしばしの躊躇を挟んで、思いつめたような表情で切り出したのである。会っていく? と。そうと口に出すことが、災いを決定づけるのではないかと恐れるように、細い細い囁き声で。  寝室に通されてみれば、友人は頬を赤くして額に汗を滲ませて、来訪者に気づくこともなく喘いでいた。苦しそうというよりもしんどそうに見えたが、それは容態が軽いということではなく、体力が残っていないことを示しているようだった。  そこまで悪いと思っていなかった、いや、そもそも容態を気にしていなかった。友人一家を悪く言う者に反発したにすぎず、友人自身を案じていたのではなかったのだ。自分を張り倒したくなった。 「コーティ」  呼びかけても反応はない。変化のない、痛々しい呼吸が続くばかりである。腕に触れれば、それでわかるほど熱かった。  覚えず、シュラはその手を両手で包み込んだ。 「──頑張れ」  言われずとも、必死で闘っているところだ。持てる力の全てを絞り出して注ぎ込んでいるところだ。  ひょっとしたら、もう尽きかけているかもしれないほどに。 「頑張れ、コーティ。体力ぐらい分けてやるから。頑張れ」  クイの血脈にその能力があるのなら。それで楽になるのなら。それぐらい大したことではない。分け与えることができるのなら、病魔と闘うための体力ぐらい。  コーティは最後まで目を開かなかった。

 不覚だ、とシュラは寝床で頭を抱えた。コーティを見舞った直後から、高熱を出して動けなくなったのだ。それ見たことかとバランが得意がるだろう。コーティに体力を、生命力を吸い取られたのだと言い触らすだろう。そんな材料を与えてはならなかったのに。 「馬鹿ねえ」  姉は容赦なく言った。病人にかける言葉ではあるまいと抗議できるほど頭が回らず、うるせえと適当に言い返しながら、弟は夜具を頭の上まで引き上げた。それで息苦しくなって元のように引き下げて、じっとり眺めていた姉に、阿呆、とまた断じられるのである。ぐうの音も出ない。  とはいえ、コーティほど深刻な容態に陥ったわけではない。三晩も眠れば落ち着いて、四晩目には食事も普通に摂れるようになった。食後は寝床に押し戻されてしまったが。 「もう平気だっつうの」 「ぶり返したらこっちが困んのよ。寝とれ」  口ではぶつぶつ言いつつも、大人しく夜具に潜り込む。姉に逆らう元気は確かにない。 「そういや、コーティはどうしてんのかな」  何の気なしにぽつりと呟いた。これではまるで人形の代わりに自分が病気を背負ったかのようだが、どうせなら本当にその通りで、今頃は快方に向かっていればよいのに。いっそバランの言うように、クイの妖術で生気を吸われたのであっても構わない。  姉はすっと表情を消した。思いがけない反応に、きょとんとした後で血の気が引く。 「……まさか」 「熱は下がった」  最悪を想像して身を起こしたところで、しかし姉はそう言った。脅かすなよ、と再び枕に頭を落とした一瞬だけ、反動ですっかり安心しきってしまう。が、何かあったのでなければ今の反応はおかしい。  案の定、続きがあった。 「失明したそうよ」

 扉の開く音に応じてコーティは顔を上げたが、青い目は明らかにシュラを捉えていなかった。シュラが来てくれたわよ、と教えられて初めて、人懐っこい笑顔になる。そこに陰や空元気は感じられなかったものの、それも却ってこちらが落ち着かない。  コーティの母が去ってからも、どう始めてよいかわからずに、シュラはしばし立ち尽くした。 「黙ってたら、僕わからないんだけど」 「あ、ん、悪い」  友人が手を差し伸べたので、とりあえずそこまで行って、取る。指は細ったかもしれない。つい先日はどうだったかもう覚えていない、熱を帯びていた印象ばかりが強くて。 「別に『ああ、シュラの手だ』ってわかるわけじゃないなあ」 「……そんな特徴的な手はしてねえよ」  コーティは寝台に色々な物を散らかして、その横に座っていた。統一性のない品々を挟んで、コーティの反対側にシュラも腰かける。  どうにも顔を見られない。じろじろと不躾に眺めていても、友人には伝わらないが──顔が、目が、概ね自分のいる方を向いていながら、しかし決して正確な位置を射抜いてはいないことに、何か堪らない気持ちになるのだ。  誤魔化すように、寝台を軽く叩く。 「何これ」 「目が見えなくてもできることって何があるかなと思って」  コーティは手探りをして、触れた物を取り上げた。籠だった。 「籠なら編めないかな、とかさ。刃物や針は使わないし。毛糸だと目が──編み目が見えてないと難しそうだけど」  次にみつけたのは笛で、これは仕事にはならないけどね、と苦笑する。シュラが持ってきた人形もあった、普通は病気を背負わせた上で処分するものなのだが。刃物の扱い方を覚えて、手の感覚だけを頼りに木を削って形を作ることも、見た目の重要な飾り物でなく構造の複雑な細工物でなく、この程度の簡素な物なら不可能ではなかろうと言う。他にも二、三、手に当たった物を撫でて確かめてから、それについて何かしら、述べた。やけに淀みなく口が動くなと、感じ始めたのは四番目辺りからである。  それが不意に途切れたのは、再び籠に触れたときだった。籠のことはもう言ったのだ。目が見えていれば、それなのにもう一度手に取ることはなかったはずなのだ。  そこが堪えたのだと察しがついたのは、ただ単に付き合いが長いからだろう。そうと見抜けたところで、ではどうしてやればよいか、何と声をかけてやればよいかは、見当もつかないのだから。 「ねえ、シュラ。君の顔を最後に見たの、いつだろう」  声が震えていた。やっとまともに視線をやれば、形ばかりの笑みさえも、今は浮かんでいなかった。 「最後に見たものって何だっただろう」  ほう、とシュラは息を吐いた。  見舞ったときには目を覚まさなかった。寝込んだ前日には会っただろうか。多分会っただろう、特に理由がなければ一日一度は顔を合わせていたから。何をしていたときだったろうか、どんな風に別れただろうか。  これが最後と知った上で、最後を迎えられるとは限らない。わかっていたら、焼きつけておいただろうか?  籠や笛を退けて、その跡に座り直す。気配は感じ取れるだろう。 「平気そうな顔してんなよ。きついに決まってるだろ」 「……ん」 「自棄にならないのはいいことだけどさ」  そこで口を噤んだのは、諭すようなことを言っても仕方ないなと思ったためだ。そういう問題ではない。  コーティはシュラの肩を探り当てると、そこにことんと額を当てた。 「家の中で歩くのも怖いんだ。距離感とかわからなくて、覚えてなくて、ぶつかったり何か壊すんじゃないかって」  そっか、とシュラは相槌を打つ。自分が泣くことではない、泣きたいのはコーティだろう。怒りようもない、誰のせいでもないのだから。慰めても励ましても大した力にはなれない、気の持ちようでどうにかなることではない。  目が見えなくなった。  それは何かで埋め合わせられるような喪失ではない。 「できないことだらけになっちゃった」  自嘲のように呟く友人に、かけてやれる言葉はもうみつからない。気づかれないようにこっそりと唇を噛んで、少年は考えた。――自分には、何ができるだろう。  このまま肩を貸しておくことぐらいしか、さしあたっては思いつかなかった。

〈続〉

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