魔魅の光明

2

 手を引き、腕を貸して、シュラはコーティを外へ連れ出した。コーティは真新しい杖を片手に従った。正直に言うと気は進まないけれど、一生家に閉じこもってはいられない以上、必要なことだからと苦笑いして。こちらから諭すことは特になかった。  一人でも村を歩き回れるように、要所要所への行き方を足で覚えること。まずはそこから取り組むことにしたのである。正確に言えば自分の家を歩き回れるようになることの方が先であろうが、そちらにはシュラは関与しない。  井戸、畑、広場、集会所。これはと思う場所とコーティの家との間を、二人は繰り返し往復した。二人を見かけた村人の反応は様々だった。最初のときのシュラのようにどうすればよいかわからないという顔をして、避けるように離れたところを通りすぎる者も、会釈だけして逃げるように去る者も、腫れ物に触わるようにぎくしゃくと声をかける者もいた。同情したり、応援したり、矢鱈と明るく励ましたりする者もいた。そうかと思えば自然体で接することのできる者もいる。姉など正にそうで、曰く、シュラに事態を伝えることの方がよほど緊張したとのことだった。  勿論、嘲笑を浮かべてすれ違ったり、不愉快な言葉を投げつけたりする者もいる。周りに面倒をかけるよりも死んだ方がよかったのになと言った者もいて、シュラはよほど殴りつけてやろうかと思ったが、コーティがシュラの腕をぐっとつかんでそうさせなかった。 「シュラってわかりやすいねえ。シュラの反応で、誰がいたのか大体わかるよ」  笑うでも呆れるでも感心するでもなく、純粋に新しい発見をしたような言い方をされても反応に困るというものである。  そんな中で、人一倍喜びをひけらかしそうなバランは、行き合うとただ、妙に無表情にコーティをみつめていた。心中を悟られないように強引に押し殺した結果と見える、不自然な無表情だった。腹を立てることではないが、薄気味悪い。普段のように不当な罵倒を浴びせてくる方が、ちっとも許せるわけではなくとも、まだ対処のしようがあろうに。  あっという間に、一月ばかりが経った。

「コーティ! 本気か!?」 「バランさんに医者に連れていってもらうこと?」  怒鳴り込んだ、という表現の似合う剣幕だったが、コーティはさらりと受け流した。予想の範疇、というより寧ろ予想通りだったのだろう。  村の薬師が匙を投げたとしても、山を越えた向こうの街の医師に見せてみれば、違うことを言うかもしれない。進んだ技術が希望を示すかもしれない。バランは街の医者に息子を見せたことがあった。十年以上前のことではあるが、多少は街の勝手がわかるし、医師とも面識がある。自分を信じて任せてくれないかと、バランの方から申し入れてきたというのだ。 「あからさまに怪しいだろ、急にそんなこと言い出すなんて」 「ガインは生まれつき目が見えなかったんだって。だから急に他人事に思えなくなったみたい」  ガインというのは確かバランの息子の名だ。そんな話は初耳で、シュラは大人を求めて視線を泳がせ、コーティの母に気がついてそこに留めた。頷きが返ってきた。 「だからって、あいつが本気で反省したなんて」 「うん、……本当はちょっと、怖い」  割合あっさりと、友人は認めた。 「でも、あの人がそう言うんだから。疑ったら、悪いじゃない。折角、歩み寄ってくれてるのに」 「疑われるだけの実績があるだろ!」 「和解の手を差し伸べられたのに、こちらから払い除けたくないの」  そう言ったのはコーティの母である。そちらに飛んだシュラのまなざしは咎めるものであったかもしれない。わたしたちはこの村が好きだから、と続ける声音には、少しばかり苦いものが混ざっていた。 「受け入れようとしてくれているのに、疑って拒むなんて愚かなことだわ。――信じなくては」 「裏切られたら?」  甘いことを言うなとばかり、シュラは声を尖らせる。尤も、甘いのはシュラの方であったろう――異郷の人間が平穏に暮らしていくために、どのような苦労と犠牲を陰で払っているものか、所詮その立場にない人間には想像できないのである。  母子は黙りこくってしまった。シュラは苛々と爪を噛む。本当は自分が文句をつけることではない。コーティと家族が決めたことであり、どうやらこの様子では本人の意志が蔑ろにされたわけでもない。向こうの言うことを暢気に丸呑みしたのでもない。  だが、相手がバランである。バランという人間がコーティをどのように扱うか、物心づく頃から今までずっと、シュラは見てきたのだ。 「――俺も行く」 「シュラが?」 「コーティや小母さんが信用したって、俺が疑ってるんだ。ついてって見張る。じゃなきゃ俺の気が済まない」 「いいの?」  遠慮がちな一言を、しかし撤回されないうちにと急ぐように、コーティはこぼした。本音が垣間見えたようで、やっとシュラは頬を緩めた。

 不信感をありありと、顔つきにも声音にも言葉尻にも漲らせて同行を宣言すると、バランはむっとした様子ながらも、好きにしな、と思いの外素直に認めた。よからぬことを企んでいるなら、道連れを増やすことは避けたがるだろう。自分が勘繰っているだけなのだろうか、と考えるのも癪だけれども。 「まあ、気の毒な人ではあるわよね」  意見を求められた姉は腕組みをした。 「ガインが――子供が生まれたときに、奥さんが亡くなったでしょ。その子供も盲目だったり病弱だったり、しかもすぐに死んじゃうし。そりゃ荒れたくもなるだろうし、ひねくれもするでしょうよ」 「コーティには関係ないんだけど」 「うん、そこは別に赦すことないけど。根っからの悪人てわけでもないかもってこと」  何かをきっかけに改心することがないとは限らない。そこまで擁護してから、あたしだって昔のことは知らないけどさ、と肩を竦める。 「いいんじゃないの、あんたが疑っとく分には。うちらは先祖代々この村の生まれだからね。村の人間が気に入らないなら自分の国に帰れとは言えやしないさ」  友人についていくことに、両親も強くは反対しなかった。母は寧ろシュラとバランの衝突を案じ、またコーティがそちらの巻き添えになることを心配したが。シュラとバランの不仲も相当なものである。姉も母に同調して、不必要にバランを煽るなと釘を刺した。 「無事に帰ってきなさいよ」  茶化すような口調だったが、一瞬真剣なまなざしを見せたような気もした。

 山道といってもさほど険しくはない。この山を越えねば往来ができない以上、需要に応じて整備も進んだのだろう。片手を貸して、自分以外の人間の足許に気を配りながら歩くことは、騒ぎ立てるような困難なことではなかった。速度は多少落ちたかもしれない。  コーティが一人で歩くのは、流石に危険だったろう。道を外れてしまう心配がないという点に限れば、場所によっては平地より楽かもしれない。道の左右は木々と下草でいっぱいで、一歩二歩でも入り込めばすぐにわかるだろうからだ。が、場所によっては道を外れた一歩先は崖である。踏み出してそうと悟ったときには遅い。  コーティの荷物はシュラが引き受けて、自分の荷物と一緒に背負っている。コーティを身軽にしておけるなら、なるべくそうした方がよかろうと考えたのだ。行き先がその街であれば野宿の必要もなく、往復しても大した日数はかからないということだったから、二人分でも担げない量にはならなかった。  バランはほとんど口を利かなかった。過保護なこった、姫様扱いだな、などと時たま吐き捨てるぐらいで、シュラは言い返したり睨み返したり黙殺したりしたが、いずれにせよそこから会話が始まることはなかった。警戒と敵意を顔に張りつけたシュラが、自分から話しかけることもなかった。但し、よそ者だの妖術使いだの、耳慣れた罵倒も出てこなかったことは認めなくてはならない。  夕方になって、無人の山小屋に着いた。山越えの中間地点であるとコーティの父に聞いている。旅は順調に滑り出したようだった。  が、問題は夜から朝までだ。見張る、と意気込みはしたものの、夜も眠らず監視するわけにはいかない。それ自体は可能だろうが、その後に支障を来すだろう。  ほとんど会話もなく簡単な食事を終え、灯りを消して夜具にくるまってから、シュラは一人頭を悩ませた。バランは早々に寝ついたらしく、先ほどから規則正しい鼾が聞こえている。自分たちが寝入るのを待って何かをしかけるということはなかったわけだ。だが油断はできない、明朝早く起きるつもりかもしれない。……考えすぎだろうか? 「起きてるの、シュラ」  大分時間が過ぎてから、ふとコーティが問うた。 「心配しないで寝ていいよ。バランさんは僕より早く起きないから」 「何だって?」 「クイは妖術使いだもの」  冗談なのかどうかよくわからない口調だった。  シュラの不信を露骨に反映して、バランだけが離れて部屋のほぼ反対側におり、少年たちはすぐ近くに横になっていた。この距離であれば、暗闇の中でも気配は感じ取れる。それともこの静けさであれば、もっと距離を置いていても伝わるものだろうか。 「シュラ、さ。僕のとこに来た後で、熱出したんだって」  改まった口調で友人は切り出した。 「あ? ああ、あのときな」 「それね。僕がクイの力で、シュラの――そう、生気を吸ったせいかもしれないんだ」  バランさんがそんなこと言ってたんだってね、と挟まる。誰が耳に入れたのだか。 「そうやって助かろうなんて考えたことはないけど、生きるためなら無意識にそれぐらいやったかもしれない」  そう聞いて、腑に落ちるものがあった。コーティの母はひょっとしたら、そうなる可能性に賭けたのかもしれない。会っていくかと、躊躇いの末に問うたときの、顔。  そのつもりで招き入れられたのだとしても、責める気にはならなかった。自分が期待していることの意味を、天秤の一方にどれほど積み上げていっても、反対側の皿に陣取るたった一つには敵わなかったのだろう。我が子が妖術で人を害すること、我が子が自らの友人を害すること、我が子の友人が害されること、――我が子が死んでしまうこと。  クイの一族が妖術を使うことは事実なのだ。バランの言うような所業を、その妖術が可能にすることも。コーティやその母がその才能に恵まれているだろうことも、きっと。  ――なら……。  閃きを脳裏から追い払って、聞こえるようにと意識的に笑い声を立てる。 「体力ぐらい分けてやるって自分で言ったしな、俺」  本当に妖術が働いたのなら、成功したのはそれゆえかもしれない。分けてやると許可したからこそ実現したのかもしれない。そうだとしたら、願ったり叶ったりではないか。 「それで助かったってんなら安いもんだよ」  代わりに自分が失明していたら、同じことは言えなかっただろうけれど。コーティの母を赦せるのも、大した被害もなく済んだことだからだ。ありがと、と友人が囁くのに、少しばかり後ろめたい気分にもなる。  ――ガインやその母が生きていれば、バランも違ったのだろうか。  同情めいたものを覚えたのは、恐らく、初めてだった。

 コーティがどのように計らったのかは知らないが、予言の通り、バランが目覚めたのは少年たちよりも後だった。三人は言葉少なに朝食を摂って出発した。  夜を徹して見張りを務めたわけでもないのに、シュラはいささか集中を欠いていた。昨夜浮かんだ考えが頭を離れなかったのである。コーティが妖術を扱えるのであれば――。 「おまえたち、ガインを覚えているか」  バランが口を開いたのは、昼を過ぎてからのことだった。急に何だ、とシュラは顔をしかめる。 「覚えてるわけないだろ。こいつなんて生まれてねえぞ」 「ああ、そうだ。ガインが死んで、おまえが生まれた」  そこでコーティの方を向いても、物音を伴うわけでもないのだから当人には伝わらない。言葉通りに受け取れば『おまえ』はシュラを指すはずだ。内容からわかるとはいえ、配慮の足りないことである。まったく。 「目と髪がそんな色でなきゃ、重ねてたかもしれねえ。何せ」  髪、という単語につられるように、栗色の髪へ目をやった。事情を知らない幼子にも、この人はみんなと違うところがあるなと認識させてしまう、特徴。  ――油断だった。  不意にドンと押されてシュラはつんのめり、コーティにまともにぶつかった。シュラは辛うじて踏みとどまったがコーティは倒れ込んだ、その投げ出された腕の先には地面がなかった。慌てて助け起こしに行こうとし、違う、こちらが先だと向き直るまでの、一、二秒が命取りであったらしい。今度は正面から突き飛ばされて、踵が地面を捉え損ねた。  体一つ分とその半分、滑り落ちて、止まった。右手と右足が支えをみつけたのだ。すぐさま左手でも岩肌をつかみ、左足でも足場を探りながら、シュラは崖の上をぎらつく目で睨んだ。やっぱりそういうつもりだったんじゃねえか!  コーティが身を乗り出さんばかりにしていた。正しい方向を見てはいない、探っても手が届くわけではない。危険なだけだ。何をしている、引っ込め、引っ込まないか! 「シュラ、――シュラ、どこにいるの!?」 「ばっ、おまえ、後ろ!」  バランがぬっと現れる。しおらしいところは微塵もない。見慣れた、否、隠していた間の分を一気に取り戻したような、暗い興奮と喜びと、憎しみとを全身が示していた。足許の背中を力任せに踏みつけ、踏み躙る。 「う……あ……!」 「コーティ! バランっ、てめえ!」 「おまえはガインの命を吸い取って生まれやがったんだからな」  シュラを目がけて、バランはコーティを蹴落とした。

〈続〉

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