あなたの正義

 死にたかった。  死にたかったのだ。    ぎこちなさの抜けた足を引きずって、あの屋上へ上がった。  飛び降りようとするわたしを、あの人は止めようとした。  どちらも落ちる結果になって、わたしは足を折り、あの人は死んだ。

 あのときのように殺風景で、あのときのような乾いた風が吹いている。  あのときと違うのは眼下の景色。  見下ろせば、花畑。  手向けた人のほとんどは、生前のあの人を知らなかったろう。  無責任な献花。  ――いや。

 インターネットでみつけた書き込み。 『自殺しようとした人が助かって止めようとした人が亡くなったなんて怒りを覚えます』  物凄い皮肉だ。  わたしの思いそのままだとは、書き手は気づかないだろう。 『尊い命が失われた事実を噛み締めて、苦しみながら生きていってほしいと思います』  これには笑ってしまった。  あの人が邪魔をしなければ、失われる命は一つで済んだ。

 あの人は満足したろうか。  正しいと信じる道を貫いて。

 フェンスは楽に乗り越えられた。  腕のいい医者だ。足をきれいに治してくれた。  見下ろせば、花畑。  手向けた人のほとんどは、生前のあの人を知らなかったろう。  無責任な献花。  ――いや、支持と共感の証。

 あのときのような乾いた風が吹く。  あのときと違って邪魔はない。  一つの命を犠牲にして、わたしの命は重みを増したろうか。

 宙へ駆け出せば、あのときのように。  風を切って、落ちる。  下に待ち受けるは花畑。  わたしを否定する花畑。

 花束はあの人を讃える証。  死んだのがわたしなら、あれほどの数は捧げられなかったろう。  死のうとした人から死を奪って、自分が死ぬのがあの人の正義。  生き疲れて死を望んだ人に、より苦しい人生を与えるのがあの人の正義。  讃える人が、こんなにもいる。

 失われた命だけが、尊い。

 風を切る。風を切る。  叶わなかった死を、今度こそ。  妨げられた死を、今度こそ。  これがわたしの解答だ。  あなたの正義を、拒絶する。

 赤い赤い花を、捧げよう。

〈了〉

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